お気に入りの香水の説明に「タバコ」とあって、少し戸惑ったことはありませんか。甘く、ほんのり革のようで、遠くに乾いた干し草を感じる、奥行きのある香り。けれど実際に嗅ぐと、灰皿のにおいとはまるで違います。それには理由があります。香水のタバコノートは、燃えた煙の香りではなく、火をつける前の「葉そのもの」の香りなのです。

タバコノートは「煙」ではなく「葉」の香り
中心にあるのはタバコアブソリュートという香料素材です。原料はナス科の植物ニコチアナ・タバカム、つまりタバコの葉。ただし使われるのは乾燥・熟成を終えた葉で、燃焼させたものではありません。香料の世界ではこの素材を「温かく、甘く、革のよう、干し草のよう」と表現します。香水で感じるあの印象は、葉そのものが持つ性質なのです。
代表格とされるトム フォードの「タバコ・バニラ」(2007年発表、調香師オリヴィエ・ジロタン)の公式ノートは、トップにタバコリーフとスパイス、ミドルにバニラ、カカオ、トンカビーン、そしてタバコブロッサム。「葉」と「花」であって、煙という語はどこにも登場しません。
香料になるのは、実は「吸えない葉」
意外なことに、原料になるのは多くの場合、喫煙用としては使えない等級の葉です。農産物の副産物にあたる部分を溶剤で抽出し、香料へと生まれ変わらせています。
- 乾燥・熟成させた葉を溶剤で抽出し、粘度の高い「コンクリート」を得る
- エタノールで洗い、約マイナス15度まで冷却してロウ分を濾し取る
- 脱ニコチン処理を行い、残留量をごく微量まで下げる
つまり香水のタバコは、脱ニコチン処理を経た植物由来の香料であり、嗜好品としてのタバコとは別のものです。香水の香りを追って葉巻に手を伸ばす必要はありません。原料に縁があるだけで、体験としては別物です。
香りを決めるのは「乾燥と熟成」

あの複雑な甘さはどこで生まれるのでしょうか。興味深いことに、香りの個性を決めるのは抽出方法よりも乾燥・熟成の方法だといわれます。熱風で乾かすのか、自然に乾かすのか、日に当てるのか、燻すのか。この違いが仕上がりをはっきり分けます。タバコの香りは収穫した瞬間に決まるのではなく、火をつける前の時間の中で育てられていくのです。バニラのキュアリングや紅茶の発酵と同じように、待つ工程が香りをつくります。
もう一段、熟成を重ねるという発想
この「火をつける前の熟成」を突き詰めた例が、キューバ葉巻の世界にあります。ハバノス社の公式情報によれば、コイーバは、使用する3種類の葉のうち2種類、セコとリヘロに追加の発酵を行う唯一のハバノスブランドです。樽の中でもう一段発酵させることで、滑らかさと複雑さが加わるとされています。
生まれたのは1966年で、当初は市販されず贈答用としてのみ作られていました。名前の由来は、1492年にコロンブスがキューバで目にした、先住民タイノ族の巻いたタバコの葉を指す言葉です。葉はキューバ西部ヴュエルタ・アバホ地区の優良農園から選ばれた「選ばれたものの中の選抜」とされます。
香りの成り立ちという視点で見ると、香料の世界と葉巻の世界は同じところを見ています。どちらも、燃やす前の葉をどれだけ丁寧に休ませたかで香りが決まる。もし「葉そのものの香り」に関心が向いたなら、熟成を突き詰めた例としてコイーバというキューバ葉巻の作り方を眺めてみてください。
日本でタバコの文化史に触れる
もう少し知りたくなったら、東京都墨田区のたばこと塩の博物館がおすすめです。中米の古代文明における位置づけから江戸時代の喫煙文化まで、植物としてのタバコが人の暮らしにどう入り込んできたかを追えます。
香りの記憶をたどる
香りの正体を知ると、同じ一滴の印象が少し変わります。甘さは焦げからではなく、熟成から来ている。そう思って手首に残る香りを追いかけると、干し草のような明るさや、革のような落ち着きが立ち上がってくるかもしれません。
